人間この信じやすきもの 4

欲しいものが見えてしまう(動機によって歪められる信念)

人々は自分の信じたいと望む事柄を、実際に信じてしまう傾向がある

人間は自分自身について過大評価しがちである
原因
 自尊心を保持していたいという心理的要求
 他人の努力は自分自身の努力ほどよく見えない→自分の努力を過大評価してしまう
 失敗は努力したかいなく起きるもの→失敗の原因を努力以外のところに求めざるおえない
 
我田引水的な信念や原因帰属が生まれてくる原因
人は一応、正当な理由をもってして、自分の信念を保持している。しかし、本人が正当だと思っている理由は、ひいき目に見られていることが多い。 例えば、人間は、誰かに相談するときに、自分の意見に賛成してくれそうな人を選びがちである。

人は信じたい仮説については「この仮説を信じても良いか」と自問する。また、信じたくない仮説については「この仮説を信じなければならないか」と自問する。そして、それぞれに都合の良い答えを捜そうとする。

所有物としての信念

私たちは物質的な所有物と同様に、信念を持ち続け、保護しようとする。そして自分の信念を、その価値がわかると思われる人には見せびらかし、それに批判的と思える人には見せない。

また、自分の持つ各種信念はお互いに矛盾がないように調和の取れたものとなっている。相容れない信念同士が不協和を起こさないよう配慮している。つまり、欲求とそれに対する制限との間のしのぎあいが存在する。

まとめると、私たちにはたくさんの信じたいことがある。しかし、そうした夢のような考えを本当に信じてしまうためには、合理性や認知的な一貫性といったものを対価として払わなければならないので、すべてを信じてしまうわけではない。だけど、わずかでも自分に都合の良い状況下では、普段から信じたいと考えていたことを信じ込んでしまう。 

(ここまでの感想)
この章では客観的なものの見方について、述べられている。できるだけ客観的な見方を身につけるには、人間は欲しい物を何とかして手に入れようとするのと同じで、自分が欲しい考えは、なんとしても正当化しようとする傾向があると、頭の片隅にとどめておくことだと思う。