中国旅行記12 9日目「上海での大晦日の夜」

2009年12月31日(木)夜       1元=約14円

宿の部屋に入ろうとしたが、カードキーが反応しない。ガチャガチャしていたら、中から例の韓国人の主がドアを開けてくれた。そして「なんだ、カードキーの使い方も知らないのか?」という感じで、使い方の模範を見せてくれた。でも開かない。「お金払った?」と聞かれ、「No」と言ったら、「それだよ。原因は」と言われた。この宿は毎日その日の分の宿泊代を払うシステムらしい。主のカードは部屋の中なので、二人とも部屋から閉め出されてしまった。

そしたら中国人のヤンがちょうど帰ってきたので、「これは助かった」と思ったら、ヤンのカードも使えない。でもヤンは今朝ちゃんと今晩の宿泊代を払ったという。

二人でフロントに行き、私はお金を払い、ヤンはカードのエラーを修正してもらった。ロビーで日本人の若者のグループとすれ違った。ヤンが私に「彼らは日本人?」と聞いてきたので「Yes」と言ったら「眉を細くしているから日本人と分った」と言った。

ようやく部屋に入ることができた。今日は部屋には我々3人しかいない。おとといゲームで負けて私がビールをおごる約束をしたことを思い出し、「ビール飲みたい?」と聞いたら二人とも「Yes」と喜んで言ってくれた。

私が宿の隣のファミマにビールを買いに言った。青島ビールの大瓶6本でたったの24元である。メチャクチャ安い。

韓国人の主がビール瓶2本使って、器用に栓を開けてくれた。大晦日を祝って3人で乾杯した。そしたら新しい客がきた。「一緒に飲みませんか?」と私が誘ったら、「飲めないので少しだけ」と言って、我々の輪に加わった。

新しい客はChakといい、香港人でクリスマス休暇で1週間彼女と旅をしているとのことだった。見た目は私と変わらないのだが、年は43歳とのことであった。

最初は韓国のドラマについての話題が続いた。中国では韓国のドラマも結構やっているみたいだ。そのうち日本の映画やドラマの話になった。Chakの仕事は映像クリエイターということで、けっこう日本の映画に詳しい。

好きな映画は岩井俊二の「ラブレター」だと言った。実は私もその映画が好きで、原作の小説は今までに何回も読んだ。日本でも「ラブレター」が好きだという人に会ったことがないのに、まさか上海で香港人の口から聞くとは夢にも思っていなかった。

レッドクリフが日本でもヒットしたよ」と言ったら、ヤンが喜んでくれた。私は香港映画「インファナルアフェアー」も好きなのでそのこともChakに伝えた。

映画の力は大きいと思った。お互いの国の文化を知ることができるし、共通の話題ともなる。私の名前はタクヤなので、「木村拓哉と同じ名前だ!」と言ったら、すかさず「でも顔は似ていない」という突っ込みが韓国人の主から入った。

次にお互いの国の経済の話になった。香港でも住宅価格が上がりすぎていて、住宅を購入するのが大変らしい。ローンの支払いがきつい上に、香港では解雇も容易なので凄いプレッシャーだと言っていた。

中国では農民工(農村からの出稼ぎ労働者)が問題になっているらしく、都市部の工場を解雇になった彼らが地元の農村に戻ってもろくな仕事がないらしい。また上海では家賃がかなり高くなっているらしく、上海で生活するのはとても大変だとヤンが言った。

投資家の目線で中国、香港を見れば好況を呈しているように見えるが、実際は多くの庶民が苦労しているようだ。これは両国でミニバブルが発生していると見てよいだろう。

「日本も今は円が高いので、こうやって海外旅行ができるが、近い将来円はずっと安くなり、我々はだんだん貧しくなる」と言ったら、すかさずChakが「でも円が安い方が日本にとって都合がいいだろう」と言った。円安になれば輸出が増えて日本経済が潤う、という日本経済の特性をちゃんと知っていた。

そして「上海は家の値段も高いが、女の人の性格もきついので、余計上海で生活したくない」とヤンが言った。私が「日本でも女の人が強くなってきている」「うちでは父親が皿を洗っている間、母親が居間でテレビを見ている」と言ったら、みんなすごく驚いた。

そうこうしているうちに時間は11時30分近くになっていた。Chakが彼女と浦東東方明珠塔近くで行われるカウントダウンに行くから、一緒に行かないかと誘ってくれた。Chakの彼女の部屋のデンマーク人とオランダ人の女の子も一緒に行くらしい。もちろん行くことにした。ヤンは「俺は近くの外難で見るよ」と言った。韓国人の主は妹が上海で留学しているらしく、少し前に妹と二人で出て行った。

黄浦江を渡らないといけないので、タクシー2台に分乗して向かった。もう地下鉄が動いていないのでタクシーしか交通手段はないとのことであった。しかし、残念なことにデンマーク人とオランダ人の女の子が乗ったタクシーと我々が乗ったタクシーが途中ではぐれてしまい、結局現地で彼女たちと一緒になることができなかった。

浦東東方明珠塔近くの歩行者天国になった大通りはすでに多くの人で埋め尽くされていた。こちらでは赤色の紙風船の中にろうそくを灯し、暖められた中の空気によりその紙風船がスルスルと空高く舞い上がって行っている。

炎に照らされた赤い紙風船が空にたくさん浮かんでいて、とても幻想的だ。お互いに写真を取り合っているうちに、あっという間に「5秒前」のかけ声が始まり、あっけなく年が明けてしまった。

そして年が明けたら、ちゃちい花火が少し打ち上げられ、すぐにみんな一斉に家路につき始めた。コンサートとかもあるわけではないので、ほんとにあっけない。まあこちらは2月最初の旧正月がメインだから仕方ないのだろう。

大変なのはここからである。宿に戻る手段がタクシーしかないのである。黄浦江をくぐる歩行者専用のトンネルもあるが、すでに閉まっていた。日本なら特別開いているところだが、ここは中国である。地下鉄といい、トンネルといい公務員のサービス精神はまだまだ低い。

バスも動いているのだが、Chakの彼女が聞いてきたところによると、黄浦江の向こう岸に行くバスはないらしい。当然タクシー乗り場は長蛇の列だ。しかもタクシー乗り場にタクシーがたどり着く前に、どんどん拾われていくので、列が全然前に進まない。

白タクも何台かいるのだが、300元とか高額な値段をふっかけてくるので、話にならない。正規のタクシーの運ちゃんも200元とか150元とか言ってくる。中国では値札のない商品は値切って買うのが基本と言われているが、今回は立場が逆になってしまった。

若い男の客が一人乗ったタクシーが走ってきて私の近くで止まった。この客が降りたら、すぐ乗り込もうと思ってすぐ近くでマークしていたら、その客がおもむろに携帯を取り出して、車内で電話をかけ始めた。そしたら女の子3人グループが走ってきて、そのタクシーに乗り込んだ。彼は中国版アッシー君だった。

あちらこちらでタクシー争奪戦が繰り広げられており、深夜になって冷え込みもきつくなってきたので、我々は諦めて近くのシャングリラホテルのロビーで休む事にした。上海のシャングリラホテルは超高層ホテルで、かなり豪華だ。Chakの彼女が先頭を切って、ちょっと躊躇しながらも「エイヤッ!」という感じで入り口のドアを押した。

最初、ホテルの人に何か言われるかと思って構えていたが、我々が外国人だからだろうか、ロビーから追い出されることはなかった。

Chakの彼女と少し話をした。当然彼女も英語が話せる。彼女は北海道に行ったことがあるらしい。香港で北海道牛乳を利用したことをアピールした飲み物がけっこう売られていたのを思い出した。北海道はアジアで人気があるな、と思った。

彼らの旅の写真を見せて貰った。世界遺産黄山に行ってきたそうだ。山頂の風景はとても雄大で綺麗だった。ロープウェイで山頂まで行けるらしい。雪が積もった中国の寺で取った写真もあった。彼女が「日本に行ったみたいでしょう」と笑いながら言った。

私に「一人で旅してるの?」と聞いてきたので「Yes」と言ったら、「あなたは勇敢だ」と言われた。いままで「勇敢だ」と言われたことがなかったので、なんか「You are brave.」という言葉が心に響いた。

少しソファーで眠り、気がついたら4時近くになっていた。外では人の数がだいぶ減り、タクシーを容易に捕まえることができた。しかし、行きの値段の3倍くらいの金額をふっかけられ、仕方なくその値段を受け入れることにした。

Chakの彼女がタクシー代を払った。降りた後、私は50元を彼女に差し出した。最初彼女は受け取るのを断ったが、私が「Please」と言いながら、強引に彼女の手にお札を握らせた。

浮浪者が私に手を差し出しながら近づいてきた。私はもう今日日本に帰るのだからと思い、あまった小銭をあげようとポケットに手を入れたら、Chakにすかさず「No!No!」と制止された。

部屋の前でChakの彼女に「Good night!」と言い、手を振って別れた。

自分の部屋に入り、そのまま上着とズボンだけ脱いで、歯も磨かずにベットに潜り込み、すぐ寝た。
こうして中国最後の夜が過ぎていった。

本当は上海のジャズバー(宿の目の前にあった)とか上海のナイトライフを楽しもうと思っていたのだが、上海で夜はすべて同室となった人との会話に費やされることになった。でもすべてとても有意義な夜だった。

ユースホステルを利用した旅の醍醐味を充分味合わせて貰った。「もう普通のホテルには泊まれないな」と思った。