中国旅行記9 8日目「上海観光」

2009年12月30日(水)晴れ               1元=約14円 

朝、やまろうさんが南京に向けて出発するというので「気をつけて!」と旅の無事を願って、見送った。その後私も着替えて宿を出た。日本ではこの時期正月休みで、朝はひっそりしているが、中国ではいつもどおり大勢の人が足早にそれぞれの職場に向かって歩いている。年末の感じが微塵も感じられない。

人民公園にある上海博物館に行くために、昨日と同じ道を歩く。途中、店先で肉まんやらお好み焼きみたいなものを焼いている店が集まっている通りを発見し、そちらに寄り道する。

少し並んでそのお好み焼きみたいなもの(2元)とあたたかい豆乳(1.2元)を買って、人民公園のベンチで食べた。お好み焼きは油が多すぎて不味かったが、豆乳は甘くて美味しかった。

開店直後の上海博物館へ到着。立派で展示物の評判が高い博物館だが、なんと入場料は無料だ。中国古来の仏像、貨幣、印鑑、家具、陶器、掛け軸などが展示してある。昔の掛け軸には、現在日本で使われているのと同じ漢字で書かれていて、私の名前の「郄」という字が、ここでは多用されていた。思わず中国に親近感を感じてしまう。

貨幣のコーナーを見ていて思ったが、中国では銅と銀でできたものがメインで、日本の小判のように金で作られた物がない。多分中国で金はあまり取れなかったのだろう。マルコポーロが「黄金の国ジパング」と名付けた理由がここで分った。篆刻も時代が新しくなるにつれて、字体のセンスがよくなり、見ていて楽しかった。

疲れたので通路のベンチに腰掛けていたら、地元の高校生の集団に不意に声を掛けられた。ポカンとしていたら「マンダリン?イングリッシュ?ジャパニーズ?」と聞いてきたので、「ジャパニーズ」と答えると、笑いとともに一人の青年が、周りの女の子達に「さあ行け行け!」とせかされて私の前に出てきた。

その青年は子どもの頃、日本に住んでいたのだろう。日本語がかなり達者だ。観光客から見た上海についての調査をしているらしい。上海の印象や交通事情、上海の今後についての意見を求められた。

上海が思った以上に都会だったこと、タクシーや地下鉄などの乗り物も乗りやすいこと、将来上海が世界でトップの都市になると思っていることを正直に話したら、みんな意外そうな顔をしていた。自分たちの国のポテンシャルをまだ理解していないようだ。

漢字が読めない外国人だと中国はとても移動しづらい国だと思うが、日本人から見ると地下鉄は東京より断然上海の方がシンプルだし、タクシーで英語が通じなくても目的地をメモに書けば通じるので問題ない。都市の将来性も東京より上海の方が有望だ。中国の人口を考えれば、アジアの中心は上海になるだろうし、経済の中心も欧米からアジアに移ると言われているので、経済的に見ればいずれ上海が世界一の都市になるのだろう。

私はいままで中国人はみんな「中華思想」、すなわち「中国が世界の中心だ」的考えを持っていると思っていた。しかし、中国に実際に来て、じかに中国の若い人達と接してみて感じることは、自分たちの国はまだまだ発展途上国だと思っていることである。

これは日本人から見れば少しやっかいだ。なぜなら中国の若者は客観的に自分たちのことを見れていると言うことであり、この人達はアメリカや日本に追いつこうとして一生懸命努力するだろう。「中華思想」に毒されていた方が、日本としてはやりやすい。

次に地下鉄に乗り、新天地をちらっと覗いて、その後地球の歩き方にのっていたデザート専門店「絶品甜店」に向かった。この店も場所が分りづらかった。団地の入り口の門を入ったところにあった。店構えは地味で、飛び込みではぜったい入らないだろうという感じの店だ。

店のオーナーが進めてくれたティラミス(16元)と珈琲(16元)を注文した。日本のティラミスと違って、ティラミス味のクリームが皿に盛られているだけなのだが、甘さが控えられていて日本の味に近かった。

次にお土産を買うために地下鉄の駅上にある上海九海百盛というデパートの食品売り場に行った。日本の食品が多く置いてあった。職場へのお土産として小袋入りの鉄火音茶(128元)、あと実家用に喜然緑茶(25.9元)を買い、最近野菜不足だったのでカゴメ野菜ジュース(5.99元)と水(1.5元)を買った。

この250gで128元する鉄火音茶は中国の物価水準からするとけっこう高級品で、私が飲んだ感想ではかなり香りがよく美味しかったが、職場ではどうしても中国というイメージが先行してしまうのだろう、美味しかったという感想を一度も聞くことはなかった。悲しい・・・

昼時に混んでいたので目を付けておいた「餐庁」という店に、時間をずらして14時頃行った。最初に「滑蛋蝦仁炒河粉(エビ入りのあんかけ焼きうどん)」(28元)とカスタードクリ−ムが入ったお菓子(16元)を注文し、後で喉が渇いたのでプーアル茶(12元)を注文した。

上海で食べる店を決めるときの一つの基準として、入り口に扉を開けてくれるお姉さんがいるかどうかがある。この手の店はけっこう綺麗で味もほとんど外すことはないと思う。

次に周公館に向かった。ここは周恩来第二次世界大戦後に始まった共産党と国民党との内戦時に共産党の事務所兼住宅として使用していた建物だ。山崎豊子の小説「大地の子」を読んだ時に、周恩来はいい人のイメージがあったので、おもわず立ち寄った。

周恩来は1949年の建国時から1976年まで中華人民共和国の首相を務めた人で、中国でこれだけ長期間この地位を守るのは大変で、彼は不倒翁と呼ばれた。また田中角栄内閣の時に行われた日中国交正常化への流れの基礎を作ったのがこの人らしく、寺島実郎氏によると、この人は若いときに日本に留学したことがあり、その時の日本に対するよいイメージが彼にそのような働きをさせたらしい。

付近は旧フランス租界と呼ばれる地区で、統一された色彩で趣のある町並みが広がっており、とても雰囲気がよい。夏なら街路樹も綺麗だろう。散歩コースにもってこいだ。

次に徒歩で泰康路へ向かった。細い路地にセンスのよい飲食店や雑貨屋などが並ぶ上海のホットスポットだ。あちこち見て回ったが結局何も買わなかった。

次に豫園へ向かった。地下鉄で適当な路線がなかったので、バスで行こうと思い、通りを歩くがバスは走っているのにバス停がなく、けっきょく相当歩いて、地下鉄に一駅乗って、また歩いた。上海では北京と違って、きれいなバスが走っているのだが、使いづらいと思った。

豫園近くの有名な豆腐屋さんで豆腐を食べた。あっさりして美味しかったが、「男前豆腐」が好きな私としてはもう少し濃厚な方がよかった。

豫園では「I,m hungry.」と言いいながら女の子二人組に2回も付きまとわれる。多分上海ではやりのボッタクリレストランのサクラだ。南京東路でもよく声を掛けられた。この手のタイプは明らかに胡散臭いと分るからいいが、人民公園では青島から出てきたという素朴な感じの若者グループ(英語は達者)に「上海博物館はどこですか?」と声を掛けられ、その後「日本に興味あります」的にいろいろ話しかけて来たこともあった。多分この後「昼飯でも一緒に」という展開でボッタクリレストランに連れて行こうという魂胆だったのだろう。隙を見て一応笑顔(サクラだとは確信が持てなかったので、一応対日感情を悪化させないように気を使って)で「時間無いからバイバーイ」と言って逃げた。

豫園から歩いて宿に戻った。今日はよく歩いた。