中国旅行記8 7日目「上海へ」

2009年12月29日(火)はれ(暖かい)      1元=約14円

昨日は遅くまで本を読んでいたので、今朝は8時頃目が覚めた。もうすでに下のベットのシンガポール人は北京へ向けて出発していた。赤道近くに住んでいるシンガポール人にとって北京の寒さは相当堪えるだろう。

蘇州で一番有名なラーメン屋「同得興」に徒歩で向かった。朝6時くらいから昼過ぎまでしかやっていないという日本では考えられない営業時間のラーメン屋だ。

8時30分くらいに店に入る。いつも混んでいるとの話だが、通勤前に食べていく人達がちょうど途切れる時間帯なのだろう。席は結構空いていた。入り口のレジで「気球の歩き方」お勧めの「水晶担面」(20元)を注文し、レシートをもらって、カウンターに並ぶ。たしかスープの色によってカウンターが別れていたような気がした。

できた順に商品がカウンターに並ぶので、ここでもどれが自分の注文した品か判断に悩む。そしたらカウンターのおばちゃんが「OK!」とこの手の店ではめずらしく英語で私に教えてくれた。アルミのお盆の上にはラーメンと皿にのった骨付き鶏モモ肉のぶつ切りがのっていた。

水晶担面のスープは、私が中国で食べた中ではめずらしくややこってりしており、上にはさらに厚切りのチャーシューがのっている。私は別に苦にしないが、普通の日本人には朝からこれを食べるのは辛いだろう。めんは日本ではまずお目にかからない平べったいものだった。

味は最高。蘇州での3度の朝飯はどれも最高だったな−と思いながら夢中で食べた。鶏モモ肉のぶつ切りは冷たかったので、ラーメンの汁に付けて食べた。これも汁に良く合う。

宿に帰る途中観前街にある切符売り場で、上海行きの列車の切符を買った(26元+手数料5元)。2時間後に出発(10:59)する列車(D5413)だがなんなく買えた。

急いで宿に戻って荷物をまとめる。昨日買った菓子がリュックに入らない。捨てるのももったいないので、手で持つことにした。チェックアウトをして、半透明のビニール袋に丸いドーナツがたくさん入った袋をしっかり手に持ってバス通りに向かう。歩きながら2泊でこんないいユースが70元で泊まれるなんて、中国は旅行がしやすい国だな−とつくづく思った。

タクシーで駅まで行こうと思ったが、ちょうどバスが来たのでそれに乗った(1元)。このバスの運転手は若いネーちゃんで、しゃれた膝下まであるロングブーツを履きながらクラッチを踏んでいる。なかなかやるなー。

前の車がなかなか動かない。どうやら故障したようだ。前を向いたまま運転手のネーちゃんが大声で何か言った。そしたら一番後ろの席に座っていたおばちゃんがすかさず後ろを確認し、「メイヨ−(ないよ)」と叫ぶ。運転手のネーちゃんはバスを少しバックさせ、対向車が来ているのに対向車線にはみ出て、故障車を追い越す。対向車はクラクションを鳴らしながら路肩によってバスをかわす。中国での交通事情はいつもこんな感じで、秩序というものがない。

駅の入り口で切符を見せ、2階にある待合室へ向かった。ここでは列車ごとに待合室が別れている。1000人くらいは入れるのではないだろうか?けっこう広い待合室だ。
ドーナツを食べながら改札が始まるのを待つ。朝から脂っこいものばかり食べたので、すこし胸焼けがしてきた。

10時40過ぎに改札が始まった。人々が一斉に2つの改札口に向かう。この待合室には5本くらい電車の番号が書いてあったので、まさか全員が同じ電車に乗るとは思っていなかったが、みんな同じ電車に乗るみたいだ。

59分に間に合うのか?気持ちが焦る。ホームに降りたらすでにすごい人だかりだ。運良く私の車両は階段降りてすぐの所だった。先頭車両だったらだどりつけなかったかも・・・

時間通り電車が到着。今回も新型車両だ。列車にはけっこう人が乗っていて、みんな乗れるか心配したが、乗客のほとんどは蘇州で降りた。

列車は北京から乗ってきた車両と同じで、とても綺麗で快適だ。上海まで80kmの距離を40分ぐらいで結ぶ。この列車にたった26元で乗れるなんて信じられない。実際バスで蘇州から上海に行くよりも安い。中国政府は何を考えてこの価格設定にしたのだろうか?

上海駅に到着。駅は工事をしていてとても埃っぽかった。タクシーで昨日予約しておいた「船長青年酒店」に向かった(24元)。ほんとはネットで船長よりもいいユースがあると書いてあったので、そこに泊りたかったが、あいにく工事中ということで、船長を予約した。しかし、このことが今回の私の旅を数倍も楽しいものにしてくれるとは、まだこの段階では気付いていない。

私は3泊予約したのでフロントで200元出したら、45元おつりを返してきた。ドミトリーの一泊の値段は55元だからなんかおかしいし、もらったレシートを見たら1泊分の55元としか書かれていない。不思議に思いながらも部屋に向かう(この時にきちんと確認できないのが私の気が小さいところだ)。

部屋は明るくて結構広く、真ん中に長方形のテーブルと椅子があり、みんながそこで雑談したり飲み食いできるようになっている。各ベットの周りには棚がたくさん設置してあり、とても過ごしやすそうだった。

部屋にはだれもいなかったが、身の回りの日用品がきちんと棚に並べてあるベットもあり、長期滞在者がこの部屋にいることが伺えた。

しばらくしたら大きな荷物を背負った新しい客が来た。挨拶をして、軽く自己紹介をした。広東省から来たというその中国人も英語が達者だった。「フロントでいくら払った?」と聞いたら私と同じ値段だった。とりあえず一泊分の宿泊費とデポジットとして100元とるらしい。これを聞いて少し安心した。

地球の歩き方にのっている上海版SUICAである「上海交通カード」が欲しいのだが、名前が何かよく分らない。彼に歩き方にのっている写真を見せながら、「これ何か知っている」と聞いたら、彼はすでのこのカードを持っており、カードを見せながら流ちょうな英語でデポジット込みでいくらだとか説明してくれた。このカードの名前をメモに書いてくれと頼んだら、快く書いてくれた。

その後お互い黙ってしばらく休憩した後、彼は「See you later.」と言って部屋を出て行った。私は今までの疲れを取るために今日は奮発してマッサージに行こうと思い、その後すぐに部屋を出た。

地図を見ながらとりあえず人民広場まで歩いた。この宿は通称「バンド」と呼ばれる西洋風の建物が建ち並ぶ界隈にあり、周囲はとても趣がある町並みが広がっていた。

バンドを抜けると、町並みは東京とほとんど変わらない。20分くらい歩いて、地下鉄「人民公園駅」にたどり着いた。窓口で20元と先ほど書いてもらったメモを差し出したらなんなくカードが買え、引き続き30元出してチャージしてもらった。

地下鉄に乗り地球の歩き方にのっていた「水秀坊」というマッサージ屋に行った。塀で囲まれている団地の中にあるので場所をなかなか見つけることができなかった。公園のやや奥まった所にある団地の入り口に机と看板が出てて、そこに日本語がしゃべれるお姉さんがおり、「全身マッサージ」と言ったら部屋に案内してくれた。

150元の全身マッサージが気持ちいいよ、と最初すすめられたが、初めての店なので「とりあえず60分100元のもので」と日本語で言ったら、笑顔で「はい」と言って、「着替えて待っていてください」と言って部屋を出て行った。

部屋は結構豪華でマッサージ台が2台あった。部屋の隅にあるポールハンガーに服を掛けて、台の上に置いてあるしゃれた甚平に着替えた。

しばらくして太めのねえちゃんが入ってきた。さっそく台のうつぶせになる。マッサージはとても丁寧だが、中国式マッサージは首や背骨のスジをしっかりマッサージするので結構痛い。疲れてたので寝たかったのだが、とてもじゃないが痛くて寝れない。だがとても効く。マッサージ終了後は非常に体が軽くなった。

お金を払って、着替えて部屋を出た。受付のお姉さんに、充分満足したことを示すために「バイバイ」と笑顔で手を振ったら、向こうも笑顔で手を振ってくれた。

また同じルートで宿に戻り、腹が減ったので早めに近くの安食堂で飯を食べることにした。「上海菜包飯」(8元)を注文したら、ごはんに菜っ葉を刻んだものがたくさん入った鶏ガラスープをかけただけのぶっかけ飯が出てきた。自分も料理するのがめんどくさいときに、よく冷凍ご飯とほうれん草を使って同じようなものを作るが、まさかここで遭遇するとは・・・。食べながら「味は私の勝ちだな」と思った。ちなみに私の今回の旅行の場合、美味しいのものに当たった確率はだいたい3分の1くらいだった。

宿の部屋に戻るとテーブルで、宿のとなりにあるファミマの弁当を食べている男がいた。例のベットの主である。すぐに「日本人?」と聞いてきた。向こうは韓国人らしい。「日本のどこから来たの?」とか「仕事は?」とかいろいろ聞かれた。向こうは釜山から来たらしい。日本とかなり近い。

会話が終わってベットで休んでいたら、「ビール飲まないか?」と聞いてきた。「YES」と言ったら「ちょっと待ってろ」と部屋を出て行った。

袋に青島ビールをぶら下げて彼が帰ってきた。そして3人の韓国人を連れてきた。この宿で知り合ったらしい。韓国人4人と日本人1人の合計5人で宴会が始まった。一人の女の子は日本語がしゃべれた。高校の時に1年だけ勉強して、「今はぜんぜん勉強してないからダメ」といいながらもかなり上手だ。

今は中国の大学で韓国語を教えているらしい。主の説明によると英語、日本語、中国語が話せるとのことだ。「中国語もしゃべれるの?」と聞いたら「中国に来てまだ半年だから中国語はまだまだです」と流ちょうな日本語で答えてくれた。世の中にはすごい人がたくさんいる。「1004号室だから、あとから誘え」と主が私にしきりにけしかけた。

宴会の大部分は彼らが韓国語で話していたが、時々私に日本の話題を振ってくれ、つまみのプリングルスを取ろうとしたら、さっと私の方に寄せてくれる。さすが儒教の国。年長者にはきちんと気を使ってくれる。

もう一人の女の子も高校で日本語を選択したそうだ。今回の旅で出会った4人の韓国人女の子すべてが日本語を勉強した経験があった。「けっこう日本って人気があるんだな−」と思った。

主が持っていたiphoneでゲームをやり、私が負けたので次回は私がビールをおごることになった。笑いながら「これが韓国のルールです」と例の女の子に日本語で言われた。

宴会がお開きになるころ、男の人が入っていきた。日本人だった。今日成田から上海に来たらしい。5日まで中国にいるそうだ。久々の日本語での会話に話が弾む。名はやまろうさんといい、ここ数年あちこち旅をしているらいい。アジアに関しては今までタイ、フィリピン、香港と旅してきており、アジアに慣れてきたので今回おもいきって中国に来たと言っていた。私と同じでこの人も中国を危険な国だと警戒していた一人だった。

11時過ぎまでしゃべって、シャワーを浴びて寝た。